お前ら、ハリウッド黄金時代ってマジでカオスだったんだなって話よ。無声映画時代の女優アリス・テリーが、監督だった旦那レックス・イングラムの葬式に愛人4人をわざわざ招待してたっていうエピソードがRedditで話題になっとる。しかもこの夫婦、他にもぶっ飛んだエピソードが山盛りでさ、Wikipediaのページがまるごとネタの宝庫みたいになっとるんよ。1920年代のハリウッドって、今のゴシップなんか比じゃないレベルでドロドロしてたんだけど、それを堂々とやってのけるこの肝の据わり方よ。Redditの反応がまた面白いから紹介していくわ。
祖父の彼女が葬式にフラッと押しかけてきやがった。祖母がその女を見て一言。「まあ、少なくとも他の女たちは来る度胸がなかったのは賢明だったわね」
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My grandfather's girlfriend crashed his funeral. When my grandmother saw her, she said "at least the others were smart enough not to come"
✍️ 管理人: 祖母のこの一言、破壊力やばすぎて草。「他の女たち(複数形)」ってサラッと言ってるのがもう最高にパンチ効いてるんよな。日本だとこういう修羅場って「昼ドラかよ」って言われがちだけど、海外でもガチでこういう展開あるんだなって。ちなみに日本の葬式って受付で記帳するから、知らん女が来たら一発でバレるシステムなんだけど、海外の葬儀はわりとオープンだから余計にこういうことが起きやすいらしい。個人的にはこの祖母、一周回って有能だと思うわ。
お前ら忘れがちだけど、アメリカ(他の国もだけど)の性的モラルって時代によって緩くなったり厳しくなったり繰り返してきたんだぞ。アメリア・イアハートなんて婚約者に「貞操は期待しないし、こっちも守らないから」ってはっきり手紙で宣言してたからな
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Reminder that sexual morality in the US, as in many places, has been cyclical. Amelia Earhart openly wrote to her fiance that she wouldn't be expecting, or offering, fidelity.
✍️ 管理人: これぐう正論なんよな。今の感覚で昔を測るなって話。日本でも大正時代とか「恋愛自由」の風潮があって、平塚らいてうとか与謝野晶子とか今じゃ考えられないくらい奔放だったしな。アメリア・イアハートって女性初の大西洋単独横断飛行を成し遂げた伝説のパイロットなんだけど、私生活もこんだけぶっ飛んでたんだな。ちなみにこの手紙は1931年のもので、実際に結婚後もお互いかなり自由な関係だったらしい。「性道徳の変遷」ってテーマ、真面目に調べると日米とも面白いんよ。
分母は?
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Out of how many?
✍️ 管理人: 3文字で全てを語る天才おるやんけwww 「4人招待した」って聞くと多いなって思うけど、「全部で何人中の4人なんだよ」っていうツッコミが秀逸すぎる。日本のネット民だったら「氷山の一角定期」とか書かれそうな案件よな。ハリウッド黄金時代の映画監督って、当時はプロデューサーよりも権力があって、キャスティング権をチラつかせてのスキャンダルは日常茶飯事だったらしい。現代の#MeToo運動で明るみに出た構造って、実は100年前からあったんだわ。
彼女が彼らの「負け」に同情してくれたと思いたい草
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I'd like to think she had sympathy for their loss
✍️ 管理人: 「愛人たちが正妻に負けた」って解釈、なかなか面白い視点だわ。でもこの場合、招待した側のアリス・テリーの方が明らかに格上ムーブかましてるから、ある意味「勝者の余裕」ってやつなんよな。日本だと「正妻の座」って法的にもかなり強くて、不倫相手に慰謝料請求できるけど、当時のアメリカだとそのへんの法整備もまだまだだったから、こういう大人の対応で決着つけるしかなかったのかもしれん。個人的には、葬式に呼ぶのは同情じゃなくて「あんたらの存在、全部知ってたからな」っていうマウントだと思うわ。
お気に入りベスト4ってこと?
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Her four favourite?
✍️ 管理人: ファーwww 愛人にもランキングがあるって発想がもう草なんよ。これ「分母は?」のコメントとセットで読むと破壊力倍増するわ。日本だと大奥とか側室制度があった時代は、実際に序列があったわけだけど、ハリウッドでも非公式な序列があったんかもしれんな。ちなみにレックス・イングラムって『黙示録の四騎士』(1921年)でルドルフ・ヴァレンティノを発掘した監督で、当時はめちゃくちゃ権力あったから、こういう話がゴロゴロ出てくるのも納得ではある。
記事にはこんなエピソードも:イングラムがロサンゼルスに戻るとき、テリーに川沿いの家を探してくれって頼んだんだと。ある夜、テリーが友人と飲んでタクシーで帰る途中、急に「停めて!」って叫んで路肩に降りて盛大にリバース。吐き終わってふと顔を上げたら、スタジオシティのロサンゼルス川沿いの物件が目に入って、「ここだ…ここがレックスとの新居だ」って即決したんだとwww
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Also in the article:
>When Ingram decided to return to Los Angeles he asked Terry to find a home by a river. One night when Terry was drinking with friends she instructed the cab to pull over so she could throw up. When Terry was done, she looked up and saw a property in Studio City on the Los Angeles River and decided that this was the place where her new home with Rex would be.
✍️ 管理人: 家の決め方がクレイジーすぎて草。酔っ払ってゲロ吐いた場所が新居って、もうどんな運命の出会いだよ。日本だと家買うときって内見何件も回って、日当たりとか駅距離とかハザードマップとか死ぬほど調べるのが普通じゃん?それがゲロからの即決って文化の違いがすごい。ちなみにスタジオシティって今でもハリウッドのセレブが住むエリアで、当時のロサンゼルス川沿いは開発が進む前でかなり広大な土地が手に入ったらしい。個人的にはこのエピソード、本人が後から盛ってる可能性も否定できんけどなw
ローガン・ロイも同じ目に遭ってたなw
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Happened to Logan Roy too.
✍️ 管理人: HBOドラマ『SUCCESSION/サクセッション』のローガン・ロイへの言及やね。知らん人に説明すると、メディア王のローガンが亡くなった時も元妻やら愛人やらが入り乱れてカオスになる展開があるんよ。このドラマ自体がメディア王ルパート・マードックがモデルって言われてて、結局権力者の周りには似たような話がつきまとうってことなんだろな。日本だと最近は某大物芸能人の葬儀で似たような修羅場があったとかなかったとか噂されてたけど、まあ洋の東西を問わずってやつやな。
全く同じ状況じゃないけど、夫が亡くなったとき、結婚前に彼と深く関わった元カノたちを調べて連絡したんだ。結果的に1時間くらいの国際電話を4回もかけることになって、なんだかんだ精神的にすごく救われた。一度も会ったことなかった元奥さんは、わざわざ遠路はるばる葬式に来てくれてほんと素敵な人だった。もちろん人それぞれだけど、テリーが本当に愛人のことを受け入れてたなら、かつて愛されてたって知ることが慰めになるのもすごく分かる。
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I mean it's not quite the same thing, but when my husband died I looked up and contacted all his meaningful exes from before we were together to let them know. This ended up being like four hour-long separate international conversations, and was quite therapeutic. His ex wife, who I had never met before, went to great lengths to attend the funeral and was incredibly lovely and I'm really glad that I got to connect with her and talk to the other exes. Of course everyone is different, but if Terry was actually OK with him having those mistresses I can see why it might have even been a comfort of sorts to know that he was at one point loved and fondly remembered by those people.
✍️ 管理人: これは純粋にいい話だわ…。ネタスレかと思いきや、こういう深い体験談が出てくるのがRedditの良いところなんよな。日本だと元カノ・元嫁を葬式に呼ぶってまず考えられないじゃん?「縁が切れた人を呼ぶのは非常識」みたいな空気があるし。でもこの人みたいに「故人を愛してくれた人全員と悲しみを分かち合う」って考え方、個人主義の文化ならではだと思う。ちなみに海外では「celebration of life(人生を祝う会)」って形式の葬儀も増えてて、故人に関わった人を広く招くスタイルが一般的になりつつあるらしい。
Wikipediaのページ全体がぶっ飛んでて草。ゲロ吐いて道端で転がってたら未来の家が見つかるっていう謎の儀式から、年齢不詳のモロッコ人少年を養子にしたと思ったら平気で「返品」するとか、完全にネタかよレベルの展開www
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The whole wikipedia page is wild. From puking and on the roadside as a way of finding their future house to adopting, and then "sending back" a Moroccan boy of questionable age.
✍️ 管理人: オチとして完璧すぎるコメントwww 「養子を返品」って字面だけで破壊力ありすぎるだろ。日本だと養子縁組の解消って家庭裁判所通さないといけない手続きだけど、当時のモロッコの養子ってどんな法的枠組みだったんだって話よ。1920-30年代のハリウッドのセレブって、異国情緒に憧れて現地の子供を連れ帰るみたいなことをわりとカジュアルにやってたらしいけど、今の感覚だと完全にアウトだわな。しかもこの夫婦のWikipedia、マジで全文読むとどこ切り取ってもネタになるレベルで、1つのスレじゃ収まらん情報量なんよ。
💭 管理人の感想
いやー、今回のネタはハリウッド黄金時代のぶっ飛びエピソードだったわけだけど、「愛人を葬式に招待」ってパワームーブ、現代じゃまず無理だよな。でもRedditのコメントにもあったように、性道徳って時代によって振り子みたいに揺れ動くもんで、当時はこれが「大人の対応」だった可能性もあるんよな。日本でも戦前は妾制度が公然と存在してて、本妻と妾が同席する場面も珍しくなかったっていうし、洋の東西を問わず似たような歴史があるってのは面白い。個人的に一番印象に残ったのは、元カノたちに国際電話をかけて救われたっていう体験談で、「故人を愛した人たち全員で悲しみを共有する」って発想は日本人にはなかなかない感覚だなって考えさせられたわ。ゲロ吐いた場所で家を即決する話とか、養子を返品する話とか、ネタとしても一級品だったしな。ちなみにレックス・イングラム監督、映画史的にはかなり重要な人物で、ルドルフ・ヴァレンティノを見出したり、映像表現の技法で後の映画監督に多大な影響を与えたりしてるんよ。才能と私生活のカオスさが比例するタイプの天才だったんだろな。みんなだったら自分のパートナーの葬式に元カレ元カノ呼ぶ?それとも絶対無理?コメントで教えてくれや。
📖 この記事のチャンク〜英語フレーズを覚えよう〜
“went to great lengths to”
🔊 読み方: ウェント・トゥ・グレイト・レングス・トゥ
🇯🇵 意味: ~するために多大な努力をした、わざわざ~した
💡 誰かが普通以上の労力や手間をかけて何かをしたことを伝えたいときに使う。例:'She went to great lengths to make sure everyone felt welcome.'(彼女はみんなが歓迎されていると感じるよう、すごく気を配った)
🌍 他の言語では?
🇩🇪 ドイツ語: sich große Mühe geben (ズィッヒ・グローセ・ミューエ・ゲーベン)
→ 日常会話で「すごく頑張った」と言いたいときに幅広く使える定番表現。
🇫🇷 フランス語: se donner beaucoup de mal (ス・ドネ・ボクー・ドゥ・マル)
→ 「わざわざ苦労して~した」というニュアンスで、努力の大きさを強調するときに使う。
🇰🇷 韓国語: 온갖 노력을 다하다 (オンガッ・ノリョグル・タハダ)
→ 「あらゆる手を尽くした」という意味で、相手の努力を称えるときにも自然に使える。
🇪🇸 スペイン語: hacer todo lo posible por (アセール・トド・ロ・ポシブレ・ポル)
→ 「できる限りのことをした」という意味で、口語でも書き言葉でも頻繁に使われる。
※翻訳は意訳を含みます。正確な表現は原文リンクからご確認ください。
※引用元: r/todayilearned


コメント
はい論破。これを「器が大きい美談」と見るのは早計で、当時の社交規範と立場の演出を無視してる。葬式に愛人4人を招いた行為は、許しの証明というより「私は全部把握した上で場を支配している」という宣言だろ。論理的に考えて、感情がないんじゃなく感情を統制して優位に立っただけ。そこを取り違えると本質を見失う。
愛人4人を葬式に招待はパワームーブすぎて草wwwww 1920年代ハリウッド、昼ドラを置き去りにしてて腹筋崩壊
えっ待って〜愛人4人を葬式に招待って強すぎて震える…しんどいのに、その場をちゃんと成立させる胆力はガチでただ者じゃないよね。ドロドロなのにどこか人間くさくて、昔のハリウッドのカオスさまでエモく見えてくるのわかりみ深い…。
Ce récit me semble fascinant moins pour son parfum de scandale que pour ce qu’il dévoile des formes sociales du deuil. D’un point de vue culturel, cela révèle que l’amour n’est pas toujours pensé comme une souveraineté exclusive, mais parfois comme une constellation de liens concurrents, embarrassants, et pourtant réels. Inviter les maîtresses d’un mari à ses funérailles n’est pas seulement un geste de force ; c’est peut-être une manière de reconnaître que la mort dissout les hypocrisies ordinaires et oblige chacun à se situer face à une vérité affective plus vaste que la morale publique.
Cela nous amène à réfléchir sur la notion de dignité : est-elle dans l’effacement des blessures, ou dans leur mise en scène maîtrisée ? Comme dirait Barthes à propos du Japon, les rituels ne servent pas seulement à cacher l’émotion, mais à lui donner une forme partageable. Ici, le rite funéraire devient presque théâtre moral, où l’épouse ne nie ni sa place ni celle des autres. Ce n’est pas la modernité qui invente la complexité des relations ; elle ne fait souvent que changer le vocabulaire avec lequel on les juge. Au fond, cette histoire rappelle que les sociétés dites “plus simples” étaient souvent, en matière de sentiments, d’une sophistication redoutable.
This reminds me of when I first came to Japan and heard older people casually mention family arrangements that would sound absolutely wild in modern conversation. You realise pretty quickly that every society has had its own version of “it’s complicated,” just with different manners wrapped around it. What struck me here wasn’t only the drama, but the strange dignity of inviting everyone who loved the same person to grieve together. Just yesterday at my local konbini, I was watching two elderly neighbours chat so calmly about someone’s family history, and it reminded me how people can hold messy truths without making a big theatrical scene of it. I’m not sure I’d personally invite four lovers to a funeral, to be honest, but there is something oddly mature about refusing to pretend the real life of a person never happened. Chaotic? Absolutely. Human? Also yes.
Als Austauschstudent hier in Tokio fällt mir auf, wie unterschiedlich Menschen mit Beziehungen und Würde umgehen. Diese Geschichte klingt erstmal komplett absurd, aber je länger ich darüber nachdenke, desto weniger wirkt sie wie bloßer Skandal und mehr wie eine seltsame Form von Konsequenz. Das erinnert mich an einen Vorfall letzte Woche in der Uni, als wir im Seminar darüber gesprochen haben, dass Trauer nicht immer ordentlich und moralisch sauber verläuft. Meine japanischen Kommilitonen sagen dazu manchmal, dass man nach außen Fassung bewahrt, selbst wenn innen alles chaotisch ist. Vielleicht war diese Einladung genau so etwas, nur in extrem. Ich persönlich könnte mir nicht vorstellen, die Ex-Partnerinnen meiner Freundin bei einer Beerdigung zu sehen, dafür wäre ich wahrscheinlich zu unsicher und zu eifersüchtig. Aber irgendwie hat diese Frau eine Härte gezeigt, die ich gleichzeitig unheimlich und beeindruckend finde.