「みんな産んでるから」「結婚したら子どもを持つもんでしょ」って理由で親になった人、日本にも結構いるよな。海外のAskRedditに、親が子どもを望んでいたわけではないと気づいた瞬間を語るスレが立って、スコア1683、コメント552件の大盛り上がりになってたわ。「望まれて生まれたわけじゃない」と知った人たちの体験談は、笑えるものもあるけど、読んでてかなり胸にくる。子ども側の視点でここまで本音が並ぶスレは貴重やと思う。
後から気づいたというより、幼い頃からハッキリ言われてた😅
父はいつも「母さんは子どもを4人欲しがってたけど、俺は1人も欲しくなかった。だから妥協して2人にした」って言ってた。ワイらが悪さをすると、母に向かって「君の子どもたちがさ」とも言ってたんよ。
母は間違いなく子どもを欲しがってたけど、後になって、あんなに若いうちに産んだことを後悔してると話してた。そして定番の「あの頃はみんなそうするものだったのよ」も。
結局、親子の間にそれほど強い絆はできなかった。友達の親が、その子自身や興味を持ってることをどれだけ応援してるかを見て、何をしても批判されるうちとは全然違うんだなと気づいた。大学で、みんなが親と電話で話してると知ったときは本当に衝撃だった。
総じて、心から大切にされてるというより、仕方なく一緒にいさせてもらってる感覚だったわ。
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I was more so explicitly told this at a young age rather than realized it later😅 My dad would always say: “Your mom wanted 4 kids, I wanted none; so we compromised on two.” He would also often refer to us as, “Your kids” to my mom if we were misbehaving. My mom definitely wanted to have kids but later expressed regret for how young she had us, and said the classic, “That’s just what you did back then.” We also never really formed that strong of a connection. I would see how much my friend’s parents supported them and their interests and realized how different that was than in family, where everything I did was judged. I was really shocked in college when I learned that people talked with their parents on the phone. Overall just feeling tolerated rather than really cared for.
✍️ 管理人: 「俺は1人も欲しくなかったから妥協して2人」って、子どもの前で言う内容じゃないやろ…。しかも「君の子どもたち」呼ばわりは、ただの責任逃れやん。日本でも「うちの子」じゃなくて「あなたの子」と言い出す父親はいて、あれ言われた側は地味に傷つくんよな。「あの頃はみんなそうだった」は海外でも日本でも万能の言い訳で、昭和の「結婚して子どもを産んで一人前」みたいな空気と同じだわ。大学で友達が親と電話してるのを見て衝撃を受けたってところが、個人的には一番刺さったわ。普通の家庭との差って、こういう何気ない場面で見えてしまうんよな。
私は母親をよく見せるための「飾り」だった。母は私の実績を自慢したり、「こんなにかわいい/きれいな娘がいるのよ」と見せびらかしたりしたいだけだった(母はものすごく外見重視で、私はいつも完璧に見えてなきゃいけなかった)。でも私の心や精神の健康にはまったく関心がなかった。
母が望んでたのは完璧な家族を築いて、みんなから羨ましがられること。それが母の人生の目標だった。いつだって世界は母を中心に回ってた。
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I was an accessory to my mom to make her look good, so she could brag about my accomplishments or show off how cute/pretty I was (she’s very superficial and I always had to look perfect) but she didn’t care about my emotional/mental health at all. She wanted to have the perfect family and everyone to be jealous of her, that was her life goal. The world revolved around her, all the time.
✍️ 管理人: これは「子どもが欲しかった」というより「完璧な家族というアクセサリーが欲しかった」パターンやな。日本だと「教育ママ」や「SNS映えする家族写真」あたりが近いけど、子どもを実績の展示物にされると、本人はたまったもんじゃないわ。海外だとこの手のタイプは「ステージ・マザー」と呼ばれて、子役やミスコン関係でよく話題になるんよ。ワイの感覚やと、親が自慢したいのは子ども本人じゃなくて「こんな子を育てた自分」なんよな。外から見たら幸せそうな家族ほど、中の話は聞けないもんやと思うわ。
母は親であることを心から楽しんでて、それが伝わってきた。完璧じゃなかったけど、努力してたし、ワイらを大切にしてくれたし、必要なときにはきちんと謝ってくれた。
父には2度の結婚で4人の子どもがいるけど、誰一人として父と親しくない。ワイは絶縁してる。父は発表会や舞台を一度も見に来なかったし、友達の名前すら覚えようとしなかった。移民一世として大学を卒業したワイに「誇りに思う」と言ったのも、ワイが露骨に「そう思ってるの?」と尋ねたときだけ。
父は冷淡でよそよそしく、人の気持ちを軽んじ、虐待的で、明らかに子どもが嫌いだった。泣くと父がひどく感情的になるから、泣くことさえ許されなかった。クローゼットに隠れて泣いても、見つかると怒られた。
父は親になるべきじゃなかった。
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My mom loved being a parent and you could tell, she wasn’t perfect but she tried, she cared and she apologized when she needed. Our father had 4 across two marriages, none of us have a close relationship with him. I’m no contact. He never showed to any of my performances, never learned my friends names. Only told me he was proud of me as a first gen immigrant college grad when I blatantly asked him. He was cold, distant, dismissive, abusive and clearly hated children. We were not allowed to cry because it was deeply triggering to him and I’d get in trouble for hiding in the closet to cry. He shouldn’t have been a parent.
✍️ 管理人: 同じ家庭の中でも、母は親を楽しんでたのに父は子どもが嫌いだったっていう温度差がきついな。必要なときにちゃんと謝る親って、実はめちゃくちゃ貴重なんよ。日本だと「親が子どもに謝る」こと自体が少ない家も多いから、ここは見習いたい点やと思う。移民一世で大学を出たって、相当な努力のはずなのに、褒め言葉も「聞かれたから」だけって悲しすぎるわ。クローゼットで泣いて怒られるくだりは、読んでて胸が詰まったわ。
両親は姉を産んだ後、里子を十数人ほど預かってた。兄弟2人を養子に迎える寸前までいったけど、土壇場で実母が引き取りを申し出た。母はどうしてももう一人欲しくて妊娠を試みて、何度か流産して、ようやくワイが生まれた。姉とは10歳半離れてる。
母がワイを心から望んでたのは間違いない。でも父はそうでもなかった。家では完全に無視されて、夕食時以外は父と同じ部屋にいることすら許されなかった。大きくなると父も趣味に付き合わせようとしたけど、「ついて来られないなら置いていく」という考えだった。ウインドサーフィンはたった1回教えただけで諦めた。オフロードバイクはもう少し長続きしたけど、使わせたのはひどく非力な古いオンロードバイクで、父は文字どおりワイを置き去りにした。当時は地図も携帯もなくて、引き返して車で待つか、迷子覚悟で先へ進むしかなかった。11歳くらいの頃の話。
ある日、一緒にオフロードを走ってて、ワイはずっと後ろにいた。木の根に変な角度で乗り上げて転倒、むき出しの排気管が脚に乗ったままバイクの下敷きに。自力でどかせなくて、横たわったままクラクションを鳴らし続けた。父がやっと戻ってきた頃には、バイクが脚に焼き付いてⅢ度熱傷になってた。父は医師だったのに、冷たいタオルを巻いて「これで大丈夫」と言っただけ。今でも脚には巨大な傷痕が残ってる。
それ以降、父はワイに関わろうとすらしなくなった。両親が離婚したとき、ワイは13歳。父は母に「連れていけ、自分はいらない」と言った。母は、二人きりで過ごせば関係が良くなると思って、父に無理やりワイを引き取らせた。でも良くならず、父が再婚した16歳のとき、ワイは家を追い出された。ちなみにワイは問題児ですらなくて、おとなしくて成績も良くて、口答えも騒ぎもしない子だった。それでも父は、ただワイを欲しくなかったんだ。
大学の学費は出すと言ってたので連絡したら、「オールAなら50%出す。残りは母さんが負担しろ」と言われた(母は離婚で何も受け取れず、パートで働いてたから実際には無理な話だった)。条件をのんで最初の成績表を見せたら、「お前は投資先として割に合わないと判断した。もう援助しない」。さらに、父が医師だったせいで、ワイは大半の学費援助の対象にもならなかった。母はできる限り助けてくれたけど、父の職業が審査に影響しなくなって学費援助の対象になれるまで、大学を4年間休学するしかなかった。父は親に学費を全額出してもらって借金ゼロで医学部を卒業したのに、ワイは公立大学に通っても3万2,000ドルの借金を抱えて学士号を取った。援助されて当然とは思ってないけど、助けてもらえたらありがたかった。後になって父は、ワイの学費資金は再婚相手がロンガバーガーのバスケットに使ってしまったと言った。でも少なくともバスケットは役に立つからいいだろう、と。【訳注:Longabergerは、収集品としても売られてた高価な手編みバスケットのブランド】
まあ、これがワイの泣ける身の上話。父はもう死んでて、継母が実質的に父を殺したようなもの。彼女は父の金を持ってトンズラした。
追記:笑えることに、父方の祖父母の遺言では父がすっ飛ばされてて、ワイと姉と叔父が相続人になってた。ワイはその遺産で学費の借金を完済した。父と継母は訴えると脅してきた。
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My parents had my sister, then fostered about a dozen kids. They almost adopted a couple of brothers, but their mom claimed them at the last moment. Mom really wanted another kid, so they tried and she had a few miscarriages. They finally had me. I'm 10.5 years younger than my sister.
My mom definitely wanted me, but my dad, not so much. He completely ignored me at home, in fact, I wasn't allowed in the same room as him except for dinner time. When I got a bit older he tried to involve me in some of his hobbies, but it was a thought of "If you can't keep up you get left behind". He gave up on trying to teach me to wind surf after the first lesson (even though it took him months and years to learn everything). Dirt biking lasted a bit longer, but he let me use his late 40's Yamaha TwinJet, an old street bike that was woefully under-powered. He would literally leave me behind, no map, no cell phones in those days. I would either turn around and find my way back to the car and wait or risk getting lost. I was about 11 years old.
One time we were dirt biking and I was way behind, but we were on familiar trails. I hit a root weird and crashed, the bike landed with the exposed exhaust on my leg. I was wearing jeans, but they has ridden up. I couldn't get the bike off from me, and so I just laid there, honking the horn. By the time my dad came back around the bike was fused to my leg, 3rd degree burns. He was a doctor, so when we got back he wrapped it in a cold towel and said it would be good. I still have a massive scar on my leg.
After that, he just stopped trying. When they got divorced I was 13 and he told my mom to take me and that he didn't want me. Mom thought if the two of us had alone time our relationship would get better, so she forced him to take me. It didn't get better, and he ended up kicking me out when I was 16 and he got remarried. I was a good kid too. I was quiet, did well in school, didn't talk back or make too much noise, he just didn't want me.
When I got a bit older he had always said he'd pay for my tuition for college, so I reached out to him, he said if I got straight A's he would give me 50% and Mom could cover the other 50% (which wasn't true, she left with nothing and worked part time, but oh well). I took his deal and when I gave him my first report card he said that he'd decided I was a bad investment and he wasn't going to help anymore. Not only that, him being a doctor meant that I didn't qualify for most financial aid. Mom helped as long as she could, but I had to take a 4 year break until his job no longer mattered and I qualified for FA. He graduated from med school with 0 debt because of his parents. I graduated with my bachelor's degree with $32K in debt after going to a public university. I know I'm not entitled, but it would have been nice to have his help. He later said his new wife had spent my college fund on Longaberger baskets and that those were at least useful.
Anyway, that's my sob story. He's dead now and my step-mom basically killed him. She fucked off with his money.
Edit
Funny enough, his parents will skipped him and went to me, my sister, and my uncle. I used that to pay off my schooling. He and my step-mom threatened to sue.
✍️ 管理人: 「投資先として割に合わない」って、実の娘に言う言葉じゃないやろ…。しかも父親は医師なのに、Ⅲ度熱傷の娘に冷たいタオルを巻いて「これで大丈夫」って、さすがに草も生えんわ。アメリカは親の収入が学費援助の審査に響く仕組みがあって、親が援助してくれない場合でも対象外になりがちなんよ。3万2,000ドルは日本円で約450〜500万円くらいで、日本の奨学金を借りてる人が大学生の約半数いることを考えると、他人事じゃない金額やな。ちなみにロンガバーガーは、本社ビルがバスケット型なことでも有名なオハイオ州のブランドなんよ。最後に祖父母の遺言で父がスキップされてたのは、祖父母がちゃんと状況を見てたってことで、ちょっと救われたわ。
ワイを産んで間もなく、母は卵管結紮を受けようとした。でも医師たちは、「まだ若いし、これから子どもを産める良い時期がたっぷり残ってる」という理由で拒否した。そんな医師たちが「母はもっと子どもを産むべきだ」と考えたせいで、ワイの弟たちと妹はこの世にいる。
ワイは計画的に生まれた。でも弟妹たちは、社会から押しつけられた期待のせいで生まれた子どもたち。
それからもう50年近く経つんだから、今は医師のその日の気分だけを理由に、病院が女性の手術を拒否することはなくなってると願いたい。
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Soon after having me, my mom wanted to get her tubes tied. The doctors refused because she was young and still had plenty of good years of babymaking ahead of her. So because of those doctors having the expectation that my mom should be having children, my brothers and sister exist.
I was planned. They were the kids who were born because of societal expectations.
One would hope in very nearly 50 years that hospitals are no longer allowed to turn women away for the surgery based entirely on how the doctor's feeling about it that day.
✍️ 管理人: 本人は計画出産で、弟妹は「医師が許可しなかった」から生まれたって、構図がなかなかの皮肉やな。日本も母体保護法で不妊手術の条件が決まってて、基本的に本人の希望だけでは受けられない仕組みなんよ。だから他人事とは思えんわ。海外のReddit、特にアメリカ系のスレでは、「若い女性が不妊手術を断られる」話は定番の怒りポイントになってるんよね。ワイ個人としては、人生を決める手術を「まだ若いから」で他人が止めるのは違うと思うわ。
ワイは11歳まで一人っ子だった。母は5年間で6回も流産してて……。その後、医師から「奇跡の薬」DESを勧められた。DESは非常に高用量のエストロゲンで、おかげで母は3人の妹を産むことができた。
でも何年もたってから、その「奇跡」が、DESを服用した女性やその娘たちにがんを引き起こすことが判明した……。母は卵巣がんで亡くなって、3人の妹たちは、がんになってないか確かめるために頻繁に検査を受けなきゃいけない。末の妹は、がんを予防するために子宮を摘出した。ワイはDESの影響を受けた娘じゃなかったから幸運だったけど、妹たちのことが怖くてたまらない。
母は通常の手術を受けに病院へ行ったんだけど、開腹してみたら全身ががんに侵されてた……。母がそこまでしたのは、ワイを一人っ子のままにしたくなかったから。母自身が一人っ子で寂しい思いをして育ったから……。
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I was an only child until i was 11. My mom miscarried 6 babies in 5 years.. then the doctor told her about this miracle called DES… it was extreme amounts of Estrogen, which actually enabled my mom to have my 3 little sisters. But years later they found that miracle was causing cancer … in women and daughters of DES mothers.. My mom passed from Ovarian Cancer, my three sisters have to be tested a lot to make sure they dont have cancer … my youngest sister had a hysterectomy to avoid cancer, I am lucky that i am not a DES daughter, but i am terrified for my sisters.. my mom went in for a routine surgery and when they opened her up she was full of cancer.. and she did all of that because she didnt want me to be an only child, my mom was a lonely only …
✍️ 管理人: これは「子どもを望まれなかった」話とは真逆で、むしろ望みすぎた結果の悲劇やな。重いわ…。DES(ジエチルスチルベストロール)は1940年代から使われた合成エストロゲンで、流産予防に処方されたけど、のちに娘世代に腟がんなどのリスクが高まることがわかったんよ。日本でも薬害として知られていて、「薬が救うのか奪うのか」を考えさせられる事例やと思う。母の愛は本物だったからこそ、「寂しい思いをさせたくない」という動機が余計につらいわ。このスレで一番、読んでて言葉に詰まったコメントかもしれん。
父が亡くなった後、両親が破綻しかけた夫婦関係を修復するための、いわば「接着剤」としてワイを利用してたんだとはっきり気づいた。父はそのことに、かなりわだかまりを抱いてたみたいだ。
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After my father passed, I discovered my parents definitely used me as a sort of "glue" to repair their failing marriage- something my father definitely held some resentments about.
✍️ 管理人: 「かすがい」って日本語があるけど、まさに子どもを夫婦のかすがいにするパターンやな。あれ、子ども本人からしたら「ワイは接着剤かよ」ってなるのは当然やと思う。日本でも「子はかすがい」って言葉があるけど、それを頼りに子どもを作ったら、あとでこじれた時の被害がデカいんよね。ちなみに「子はかすがい」の由来は、材木をつなぐ金具のかすがいから来てるんだとか。ワイ的には、親の関係修復は親同士で何とかしてほしいところやわ。
母の許可をもらって母のオンライン日記を読んだら、両親は夫婦仲がギクシャクするたびに、とりあえず子どもをもう一人作ってたことが判明した。6人も産んだ挙句、結局離婚したけど。
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I read my mom’s online diary (with her permission) and realized that every time she and my dad hit rough patch, they just had another kid. Six kids later and they still got divorced.
✍️ 管理人: 夫婦仲がギクシャクしたら子どもを増やすって、問題解決の手段が独特すぎて草。6回やっても解決しなかったわけで、そりゃ離婚にもなるわ。日本でも「二人目ができたら夫が変わるかも」みたいな期待を聞くことはあるけど、基本的に子どもは関係修復ツールにはならないんよな。それでも、親の許可を取って日記を読ませてもらったっていう点は、この投稿者さんのちゃんとした人柄が出てると思う。日記を見てしまうと、知りたくなかった真実が出てくることもあるから、ちょっと勇気がいる行動やと思うわ。
うーん、育った環境かな。ワイが6歳くらいのとき、「父親」はワイらを置き去りにして、母子家庭で生活にも困る状況にした。母も、自分のトラウマを抱えてたことや、生きていくために必死で働いてたこともあって、ワイにあまり関心や愛情を示してくれなかった。しかもワイがその「父親」にそっくりだったことも、状況を悪化させた。あの二人は、どちらも本当は子どもなんて欲しくなかったんだと思う。
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Ummm the way I was raised. My "dad" left us alone and destitute with a single mother when I was like 6. My mom never showed much interest or affection, partly from her own trauma and partly because she was working so hard to survive. It didn't help that I looked just like my "dad." I'm convinced neither of them really wanted children.
✍️ 管理人: 「父親」にカギカッコがついてるところに、いろんな感情が詰まってるわ。見た目が似てるというだけで、母の態度が冷たくなるのは、子どもからしたら完全に理不尽なんよな。日本のひとり親家庭の貧困率は先進国の中でも高めで、母親が必死に働いて、子どもと向き合う余裕がないケースは本当に多いと言われてる。親にも事情があるのはわかるけど、それで子どもが傷つかないわけじゃないんよ。個人的には、悪者を一人に決めきれないこういう話が、一番しんどいと思うわ。
聞いてみた。母は「だって、みんな子どもを作ってたから」と言った。
最高かよ。
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I asked. My mother said, “well, everyone else was having kids.”
Excellent.
✍️ 管理人: これ、重い話が続いたスレの中で、本人が直接聞いた結果がこれなの笑ったわ。「みんな作ってたから」って、まさに「周りに合わせた」の最終形態やん。日本でも「みんな結婚してるから」「みんな家買ってるから」で人生を決める人は結構いるけど、子どもまでその理由で作られたら、当の子どもは「ワイの人生の発端それかよ」ってなるよな。ただ、正直に答えてくれた分、ある意味誠実な母親とも言えるのかもしれん。ワイやったら笑うしかないわ。
💭 管理人の感想
今回のスレは、親が「子どもを望んでいた」のではなく「そうするのが当たり前だったから」「周りがそうしてたから」親になった、と子ども側が気づいた瞬間の話やった。実際に読んでみると、「望まれていない」と一言で言っても、片親だけが乗り気じゃなかった家庭、子どもを飾りや接着剤として使った家庭、望みすぎて悲劇になった家庭と、パターンがかなり違うのが印象的やった。共通してたのは、本人は愛されたいだけなのに、周りの大人の都合に左右され続けたことやと思う。日本でも、2024年の出生数が約69万人と、70万人を割って過去最少になったと言われてるけど、「結婚したら子どもを持つのが普通」という空気は今でも根強いんよな。ワイは、少子化対策とは別の話として、「望んで親になる」ことの大事さをもっと語ってもいいと思う。ちなみに、似たテーマで「親になったことを後悔してる」と語る親側の告白スレも、前にRedditで盛り上がってたんよ。そっちを読むと、子ども側と親側のズレがよく見えて、また違った意味でしんどいわ。もちろん、周りに流されて親になった人でも、いい親になった人はたくさんいるはずだし、逆に望んで産んでも子どもを傷つける人はいる。だから結局は「理由」よりも、親になってからどう向き合うかがすべてなんやろな。みんなは「親が自分を望んでたか」を感じた瞬間ってあった? それとも、逆に「この人たちは本当に自分を望んでくれたんだ」と思えたエピソードがあったら、コメントで聞かせてほしいわ。
📖 この記事のチャンク〜英語フレーズを覚えよう〜
“That's just what you did back then.”
🔊 読み方: ザッツ ジャスト ワット ユー ディッド バック ゼン
🇯🇵 意味: 昔はみんなそうしていたものだ、という意味で、今の価値観では疑問でも当時は当たり前だったと言うときの決まり文句。
💡 親や年配の人が、今なら不自然な選択や行動(若くして結婚・出産する、体罰をするなど)を「時代のせい」として片づけるときに使う。例:「Why did you quit school at 16?」「Well, that's just what you did back then.」
🌍 他の言語では?
🇩🇪 ドイツ語: So war das damals eben.(ゾー ヴァー ダス ダーマールス エーベン)
→ 「eben」が「そういうものだったんだ」という割り切りを出し、昔の慣習を軽く正当化するときの定番の言い方。
🇫🇷 フランス語: C'était comme ça à l'époque.(セテ コム サ ア レポック)
→ 世代間の価値観の違いを説明したり、言い訳にしたりするときに日常的に使われる。
🇰🇷 韓国語: 그땐 다 그랬어.(クテン タ クレッソ)
→ 「あの頃はみんなそうだった」という意味で、親世代が昔のやり方を正当化するときによく言う。
🇪🇸 スペイン語: Así se hacían las cosas antes.(アシ セ アシアン ラス コサス アンテス)
→ 「昔はこうやっていたんだ」と、当時の当たり前を理由に話を終わらせるときの言い方。
※翻訳は意訳を含みます。正確な表現は原文リンクからご確認ください。
※引用元: r/AskReddit


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