「世界で一番最初に奴隷制をやめた都市」って聞かれて、パッと答えられる人おる?ワイは無理やったわ。答えはなんとイタリアのボローニャなんやと。中世ヨーロッパの都市国家というと領主様が絶対みたいなイメージあるけど、実はけっこう早い段階で農奴解放をやってた例があるらしい。ただこの手の「世界初」系の雑学、Redditに投げたら絶対にツッコミ待ちの歴史マニアが湧いてくるんよな。今回もその予感どおり、コメント欄が歴史バトルロイヤルと化してて草。
1249年のフォッサルタの戦いの後、ボローニャ地方の領主層のほぼすべてが打ち破られた。その結果、農奴の身分に関する倫理的・経済的な再検討が行われることになった。それまで彼らの身分は、所有者である「シニョーリ(領主)」との結びつきによって決定されていた。
1256年8月25日、ボローニャのポデスタ宮殿のアレンゴの鐘が市民をマッジョーレ広場に集めた。そこで、ポデスタ(市政府的長官)のボナッコルソ・ダ・ソレジーナと、カピターノ・デル・ポポロ(市民軍の長)が、約400人の領主に所有されていた約6,000人の農奴の解放を宣言した。解放は、公社の財庫から子供8ボローニャ銀貨リラ、大人10リラ(市場価格)を支払うことで行われた。5,855人の農奴を解放するために、公社は54,014ボローニャ・リラを支払った。
完全に奴隷制を廃止したわけではなく、家事使用人という形での奴隷は残しつつ農奴制を廃止しただけ。これは奴隷制への糾弾というより、都市国家で封建領主が市民階級(ブルジョアジー)に権力を奪われていく流れの中での政策で、その後は通常ローマ共和政をモデルにした自治機構を樹立していった。
同じ時期にフィレンツェも似た過程を経て「正義の法令」という、貴族に対する人民の権利を明文化したproto-憲法を制定。実際、貴族が公職に就くことは完全に禁止された。この抽選制度が教育制度の変革の必要性を生み、結果的にヨーロッパ各地の主要大学に人文学が導入されることにつながったらしい。
原文を見る
>After the battle of Fossalta (1249) almost all Signorie (Lordships) of Bologna countryside were defeated. The result was an ethical and economic reflection on the serfs' status, until then determined by their bond to their owners, called Signori (Lords).
>On 25 August 1256, the Arengo bell of the Palace of Podestà (Bologna) called Bolognese citizens into the Piazza Maggiore, where the Podestà (head of city government, expression of urban aristocracy), Bonaccorso da Soresina, and the Capitano del popolo (head of city militia, expression of urban bourgeoisie) announced the liberation of about 6,000 serfs, owned by 400 lords. They were emancipated by the payment, from the communal treasury, of 8 (for children) or 10 (for adults) Bolognese silver lire, which was the market price. For the emancipation of 5,855 serfs, the Commune paid 54,014 Bolognese Lire.
They didn't quite abolish slavery, in the form of household servants, the abolishec serfdom. This was less a comdemnation or slavery as an institution and more so a move in the context of the feudal lords in the italian city states losing their power to the burghers who went on to establish civic institutions, usually modeled after the Roman republic(not the empire).
Florence went through a similar developement in the same period, and they created the ordinances of justice, a proto-constitution which enshrined the rights of the people over the nobility, and in fact they completely barred nobility from holding office:
>These laws were directed against, and identified by name, particularly influential (i.e. aristocratic) families and Ghibelline sympathizers. Those identified were supposed to possess a bellicose and ungovernable nature. Primarily these people were barred from holding office and, if they committed certain crimes their punishment could be doubled.
>In later years the severity of the Ordinances of Justice were somewhat mitigated but they stayed in force. These ordinances ensured that the guilds of Florence retained control of the city.[4]
>The Ordinances of Justice established the government of Florence as being ruled by 12 Priors of the major Guilds. The election process was a lottery, in which eligible merchant's names would be added to a bag held by the Franciscan Priests. Every two months, the bag would have twelve names pulled out of it, and those merchants would be the new Priors.
>This lottery system caused a need for a change to the education system, and ultimately led to the implementation of Humanities in major universities around Europe.
https://en.wikipedia.org/wiki/Ordinances_of_Justice
✍️ 管理人: 情報量えぐいな、これ完全に専門家の解説やん。要するに「奴隷解放したった!」って美談っぽく見えて、実態は領主から市民階級(ブルジョアジー)への権力移行の一環だったってことやな。日本で言うと1871年の「賎民解放令」も、人道的というより明治新政府の中央集権化のための身分制度整理という側面が強かったから、構造としては近いものを感じるわ。ちなみにボローニャ大学は1088年創立で西洋最古の大学って言われてて、こういう知的インフラが整ってた土地だからこそ人権や法制度の議論も早かったんやろな。個人的にはこの「美談の裏に政治力学あり」ってパターン、歴史あるあるすぎて逆に安心する。
ロンドンの方がもっと早いだろ?ノルマン人が11世紀にイングランドを征服して、アングロ・サクソン時代の奴隷制度を禁止したわけだし。この時点でロンドンを「都市」と見なせるなら、事実上は1256年のボローニャより早いことになる。
まあ「農奴制」になると話は別だけどな。
編集——いや、俺の間違いだった。奴隷制度は衰退してはいたが、法的には廃止されてなかった。お前らバカタレ、間違いにいいねすんなw
原文を見る
London would’ve been earlier surely? The Normans conquered England in the 11th century and outlawed the Anglo-Saxon system of slavery. That would make London de-facto earlier than Bologna in 1256 if we can classify London as a city by this point.
Now *serfdom*, that’s another matter entirely.
Edit – no, I’m wrong. Slavery was in decline but not legally outlawed. Stop upvoting me you bastards
✍️ 管理人: 自分でツッコんで自分でオチつけるスタイル、Redditの編集文化っぽくて好き。日本の掲示板でも「訂正します、さっきの俺アホでした」って自己完結する流れよくあるけど、まさにあれやな。豆知識としてノルマン征服(1066年)って実はイギリスの奴隷制衰退の転換点で、ドゥームズデイブックの記録だと征服直後は人口の1割くらいが奴隷身分だったのが、その後急速に減っていったらしい。でも「法律で禁止」と「慣習的に廃れた」は全然違う話やから、この人の訂正はぐう正論やね。
全然違うわ..
・インドのアショカ帝は紀元前3世紀にインド帝国で奴隷制を廃止した。
・新の初代皇帝・王莽は西暦10年頃に中国で奴隷制を廃止した。
原文を見る
Not even close..
* The Indian emperor Ashoka abolished slavery in the Indian empire in the 3rd century BCE.
* Wang Mang, first emperor of the Xin dynasty, aboilished slavery in China around 10CE.
✍️ 管理人: はい出ました、アジア勢からの参戦。アショカ王は仏教に帰依してから統治方針をガラッと変えたことで有名で、各地に建てた石柱には動物の殺生や奴隷への虐待を戒める勅令が刻まれてるんよな。ちなみに日本でも豊臣秀吉が1587年に「バテレン追放令」の一環で、日本人が奴隷として海外に売られるのを禁止してるから、時代もスケールも違うけど「奴隷禁止の勅令」って世界中の権力者がそれぞれのタイミングでやってることなんやなと。ただ王莽の改革は結局失敗して自身も殺されてるから、理念先行で実効性が伴わなかった説もあって、その辺はボローニャの方が「実際にお金払って解放した」記録が残ってる分マシまである。
マジでバラ肉じゃねーの?
原文を見る
So it's not bologna?
✍️ 管理人: これは完全に言葉遊びのジョークやな。英語で「baloney(bologna)」って「でたらめ、うそ」って意味のスラングでもあるから、「ボローニャ(の話)=でたらめじゃん」っていう地口。ボローニャって食材としてもボロニアソーセージ(いわゆるボロニーソーセージ)で有名やから、英語圏民からしたら地名聞いた瞬間に食べ物とスラング両方連想するっぽい。日本語に訳すとニュアンス消えるタイプの海外ジョークやから、こういうのは注釈で拾ってあげたいところ。
てか、めっちゃいいバケツも持ってたんだよね。
原文を見る
They also had a really nice bucket.
✍️ 管理人: 何の脈絡もなくバケツの話、完全に唐突すぎて草。多分これ「真面目な歴史語りに急に意味不明などうでもいい情報をぶっ込む」っていうRedditでよくあるボケの型で、Wikipediaのどうでもいいトリビア欄をイジるノリに近い。日本の掲示板でも大喜利スレでこういう「急に関係ない情報足す」ボケよくあるから、ネットのユーモアの構造って国境関係なく似てるんやなって思うわ。
たぶん無理っぽい
原文を見る
Han China banned slavery 2000 years ago
✍️ 管理人: 投げやり感すごい一言レスやけど、これはこれで「世界初」を名乗るのがいかに難しいかを物語ってるよな。歴史の「初」を主張するには記録の残り方や定義の厳密さが絡んでくるから、専門家でも断定を避けがちなんよ。日本語の掲示板で言う「それはお前の中だけ」的な冷めたツッコミに近いノリで、個人的にはこういう身も蓋もない一言が地味に好き。
漢王朝は2000年前に奴隷制を禁止してたんだぜ
原文を見る
Han China banned slavery 2000 years ago
✍️ 管理人: おいwww さっきの王莽(新王朝)の話とほぼ同じ話をまた別の人が持ってきてて、スレが完全に「うちの方が古い選手権」になってて草。漢王朝(前漢・後漢)の間に新が挟まってるから厳密には別王朝やけど、コメント欄的にはもうそんな細かい違いどうでもよくなってるのがオモロい。日本でも「うちの神社の方が古い」「うちの祭りの方が歴史ある」みたいな地域対抗あるある論争があるけど、まさにあれのグローバル版って感じで、このスレの締めとしては最高のオチやわ。
💭 管理人の感想
まとめると、「ボローニャが世界初の奴隷制廃止都市」って話は間違いではないけど、正確には「農奴解放を成文化した記録が残る早い事例のひとつ」くらいのニュアンスが正しそうやな。実態は人道的な美談というより、封建領主から都市の商人・市民階級へ権力が移っていく過程での政治的な一手やったってのがミソ。それでもコメント欄では即座にロンドン、インドのアショカ王、中国の王莽・漢王朝と対抗馬が次々出てきて、「世界初」を名乗ることの難しさを改めて感じさせられたわ。日本でも「賎民解放令」(1871年)や秀吉の「バテレン追放令」(1587年)みたいに、身分制度や奴隷的な扱いを禁じる勅令は時代ごとにあったけど、それぞれ背景の政治的事情がかなり違うのがおもろいところ。結局「奴隷制の廃止」って一言でまとめても、対象が農奴なのか動産奴隷なのか家事使用人なのかで話が全然変わってくるから、単純比較がすごく難しいテーマなんよな。これ前に「世界最古の民主主義はどこか」ってスレでも同じような「定義次第でいくらでも変わる」論争があったの思い出したわ。みんなの国や地域にも、こういう「うちが元祖」的な歴史トリビア、なんかある?知ってたらコメントで教えてほしいわ。
🌍 他の言語では?
🇩🇪 ドイツ語: nicht ganz (ニヒト・ガンツ)
→ 「完全にではない」を柔らかく伝える定番表現で、'Das hat nicht ganz geklappt.'(うまくいききらなかった)のように使う
🇫🇷 フランス語: pas tout à fait (パ・トゥタファ)
→ 否定を和らげる日常表現で、'Ça n'a pas tout à fait marché.'(完全にはうまくいかなかった)のように使う
🇰🇷 韓国語: 완전히는 아니야 (ワンジョニヌン・アニヤ)
→ 会話でよく使うカジュアルな婉曲表現で、断言を避けつつ「完全にはそうじゃない」と伝える
🇪🇸 スペイン語: no del todo (ノ・デル・トド)
→ 日常会話で頻出する表現で、'No salió del todo bien.'(完全にはうまくいかなかった)のように使う
※翻訳は意訳を含みます。正確な表現は原文リンクからご確認ください。
※引用元: r/todayilearned
📖 この記事のチャンク〜英語フレーズを覚えよう〜
“didn’t quite”
🔊 読み方: ディドント・クワイト
🇯🇵 意味: 「完全には〜ではない」「もう少しで〜だが届かない」というニュアンスを表す表現
💡 何かが完全には達成できなかった、期待通りにはいかなかったと柔らかく伝えたいときに使う。例: ‘I didn’t quite finish the report before the meeting.’(会議までにレポートを完全には終わらせられなかった)


コメント